社会資本整備の好機を生かせない悲劇

日本の公共事業費は、小泉純一郎内閣以降、継続的に圧縮されてきた。国民経済計算ベース公的固定資本形成の対実質GDP比は、2000年頃までは7~9%程度であったが、01年度から継続的に低下し、04年度には4%台になった。さらに08年7~9月期には3%にまで低下した。

公共事業がこのように圧縮された背景には、道路を中心として地方部に過剰な公共事業が行なわれているとの認識があった。地方部の公共投資が「ムダ」と言わざるをえない状況になっていたのは、否定しえない事実である。

特に道路については、整備がかなりの水準に達し、日本全体の立場から見て道路にこれ以上の資源投入が必要ない状況になっていたにもかかわらず、道路特定財源の支えの下で、道路族議員と地方土建業者の利益が結託し、「土建国家」的な状況となっていた。その結果、地方部の経済は、公共事業に依存しないと成り立たないところまできていた。こうした状態からの脱却が必要だったことは、間違いない。

しかし、対象のいかんを問わず社会資本整備を圧縮する必要があったかどうかは、疑問である。01年度以降に公共事業費が一律かつ大幅に圧縮されたのは、財務省の財政再建路線の要求が強く影響したからである。その結果、マクロ経済的な資源配分は、かなり偏ったものになったと言わざるをえない。

マクロ経済政策の観点から見ると、公共事業が圧縮される半面で、金融緩和が行なわれた。景気刺激が意図されるにしても、財政拡大と金融緩和では、経済全体の資源配分はかなり異なったものとなる。

小泉内閣のマクロ経済政策は、明白に「緊縮財政・金融緩和」型のものだった。これは、金利を低下させ、為替レートを円安にする。このため、輸出が増加し、異常なほど外需に依存した経済成長が実現することとなった。

実質純輸出の対実質GDP比を見ると、1987年度から01年度までは1~2%程度であったが、02年度から継続的に上昇し、04年度には4%になった。08年7~9月期には、5%になっている。つまり、小泉内閣のマクロ経済政策の結果、有効需要の構成が大きく変わり、公共投資から貿易黒字への移行が顕著に進行したのである。有効需要構成比の変化は、政府固定資本形成と純輸出がほぼ入れ替わるようなかたちである。

破綻した輸出立国モデル

輸出が顕著に増加したのは、アメリカ向けと中国向けである。アメリカに対する輸出は自動車が中心であり、中国に対する輸出は、部費などの中間財と工作機械などの資本財だ。これは、中国の対アメリカ輸出の増加によって増加したものだ。つまり、日本の対中国輸出は、間接的なアメリカ向け輸出と考えることができる。したがって、基本にあるのは、アメリカの輸入増加だ。アメリカの輸入増加は、住宅価格バブルを背景として消費者金融が大幅に拡大し、その結果、消費支出が増大したことによる。

02年頃から顕著になった日本経済の景気回復は、こうした過程を経て実現したものである。つまり、日本国内の財政再建要請と、アメリカの消費主導経済成長とが、結果的にうまく調和するかたちとなったのである。

しかし、この路線は、07年の夏以降、アメリカの住宅バブルが崩壊し、消費が収縮して輸入が減少したため、破綻した。現在生じている経済危機は、こうして引起こされたものだ。

輸出の落ち込みによる有効需要の減少は、これまで日本経済が経験したことのない大規模なものだ。これによるショックを最小限にとどめるには、財政支出の拡大以外に方策はないと思われる(これに関する詳細は、ダイヤモンド・オンラインに連載中の「未曾有の経済危機を読む」を参照)。

世界経済は、、第二次大戦以後初めて、大規模なケインズ的経済政策を必要とする段階にある。これまでもケインズ政策が議論に上ることはあったが、本当に必要な状況にあったとは思えない。第二次大戦以降、世界が直面した経済的問題は、主として供給面の条件に起因するものであったからである。有効需要のない規模で急激な落ち込みは、初めての事態だ。

なお、オバマ政権による景気刺激策に注目が集まっているが、アメリカでは消費が落ち込む半面で輸入が縮小するため、有効需要拡大策の必要性は、本来は高くない(むしろ、景気拡大策によって輸入が増えると、今回の経済危機の原因となった経常収支赤字の縮減ができず、経済危機の基本的原因が取り除かれずに残ってしまうという問題がある)。有効需要の拡大策が緊急に必要とされるのは、日本や中国のような輸出国である。

日本が直面するのは政治の危機でもある

財政拡大政策を採った場合、財政支出がいかなる対象に向かうかが問題だ。

公共投資は地方部の道路整備だけではない。都市における交通インフラストラクチャや住宅環境の整備も必要だ。そして、日本の都市におけるそれらは、著しく不十分な水準のままにとどまっている。

たとえば、郊外では鉄道と道路の平面交差が多く、開かずの踏切が各所に放置されたままだ。また、大都市における通勤輸送手段は明らかに能力不足であり、非人間的な通勤環境がまったく解決されていない。さらに、住宅水準は一時に比べれば改善はしたものの、依然として貧弱だ(いまだに公共下水道が整備されていない地域が首都圏にもあるし、下水道があっても処理能力が低いため、ディスポーザーなどが使えない状態である)。さらに、高度成長期に建てられた公共建築物などで、耐用年限がきたものも多数存在する。したがって、日本の都市環境を改善するための投資は、これまでも必要だったし、今でも必要である。

しかも、こうした状況を改善するには、厳しい時間的な制約がある。人口構造の高齢化が進むと、経済全体の貯蓄率がさらに低下し、経済全体としての投資余力は低下するからだ。たぶん、今は、日本経済として大規模な投資を行なう最後のチャンスである。

ただし問題は、財政支出が増えたとしても、それが右に述べたような都市インフラの整備に向かうかどうかだ。日本の現実の政治状況を見れば、増大した財政支出が地方部のムダな公共投資の復活になってしまう可能性は強い。

財政支出は政治的なプロセスで決定されるから、いかなる資源配分がなされるかは、政治の質に依存する。ケインズ自身は、経済政策を実行する政治・行政メカニズムに大きなバイアスがあることに、あまり注意を払わなかった(ケインズ経済学は、暗黙のうちに賢人政治的な状況を仮定していた。このことは、ケインズの生誕地であるケンブリッジ市の通りの名を冠して、「ハーベイロードの仮定」と呼ばれている)。

しかし、現在の日本では、このバイアスは、無視しえぬ大きな問題だ。景気対策的な必要性と長期的な資源配分終生の必要性がたまたま一致した絶好のチャンスを目の前にしながら、政治の無策と混乱のために、その好機を利用できないで終わってしまう可能性は、きわめて大きい。現在日本が直面している危機は、経済の危機であるとともに、政治の危機である。

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