誰がために鐘は鳴る? そは汝がために鳴る

8月の貿易収支は、26年ぶりに赤字になった。日本の貿易黒字が世界経済を撹乱しているとの議論が強まり、官民挙げて「黒字減らし」にやっきとなったときから20年程度しかたっていないことを思い出すと、不思議な感じがする。それより前の高度成長期、「国際収支の天井」を議論していた時代に戻ってしまった気さえする。

しかし、今そうした感慨にふけることは許されない。なぜなら、貿易収支の赤字化は、短期的にも長期的にも、日本経済にとって重要な意味を持っているからだ。短期的には世界経済危機との関係であるし、長期的には、日本の人口が高齢化することとの関係である。

まず短期的側面を見よう。貿易収支が赤字になったのは、資源価格の高騰で輸入が大きくふくらんだことに加え、対米輸出が前年比マイナス21.8%と大幅減になったからだ。

つまり、赤字化は、全世界的なマクロ経済条件の変化が必然的に引起こしたものだ。その根底にあるのは、この連載で強調してきたように、アメリカが巨額の経常赤字を記録する半面で、日本、中国、産油国に巨額の対米黒字が発生し、それが資本取引を通じてアメリカに環流するという構造だ。日本は、この連関の中で重要な地位を占めている。したがって、現在の経済危機は、対岸の火事ではなく、日本経済そのものの問題だ。

原因がアメリカ経常赤字の膨張にある以上、それが持続可能なレベルまで縮小しない限り、問題は解決しない。アメリカの赤字縮小は、黒字国の黒字縮小を意味する。産油国の黒字は容易に縮小しないので、変化の大部分は日本と中国で生じざるをえない。したがって、日本の貿易収支赤字転換は、不可避のものだ。

日本は問題の外ではなく中心にいる

現在生じている経済危機に関する一般のとらえ方は、次のようなものだろう。すなわち、アメリカで住宅バブルが生じ、サブプライムローンという無謀なローンが横行した。それを証券化した金融商品に投機的な投資が集まった。ところが住宅バブルが破綻して関連金融商品の価値が下がり、その結果金融機関が危機に陥った。それがアメリカの景気を後退させ、その悪影響が日本にも及ぶ。

表面的に見れば確かにそうしたことが生じている。しかし、現在生じていることに日本は直接のかかわりを持たず、アメリカの景気後退によって間接的に影響を被るだけだとの考えは、間違っている。日本は、アメリカの影響を受けるのではなく、問題の中心に位置しているのである。貿易収支赤字化は、そのことを明確に示している。

メカニズムの理解は、対処の方法や将来の見通しにも関係する。もしアメリカの金融機関の危機だけが問題なら、金融機関の救済や不良資産の買い上げで問題は解決する。日本の1990年代の金融危機はそのような問題だった。しかし、今の問題は、原因であるアメリカ経常赤字がまだ残存しているという点が異なるのである(これが前々回で指摘した点だ)。したがって、景気後退を防ぎつつ問題を解決するのは、そもそも不可能なのである。

金融危機は進展のスピードが速く、しかも金融機関の破綻というかたちで顕在化するため、目につきやすい。それに対して実物経済の変化は緩慢であり、経済のさまざまな側面で発生するので、はっきりとは認識できないことも多い。しかし、金融危機の裏側の問題として存在していることは間違いない事実なのだ。

日本でも、不動産に関連した分野では比較的早く問題が顕在化するだろう。地価動向が昨年とは様変わりし、また、いくつかの関連企業の行き詰まりが生じているので、問題はすでに顕在化しつつあると言えるのかもしれない。

これから押し寄せる津波を抑えることはできない。どうしたらよいのかと言われても、簡単な対策はない。誰もが傷つかずに危機を乗り切ることは、不可能だ。

人口高齢化は貿易収支を悪化させる

貿易収支赤字化には、長期的な側面もある。それは、日本の人口構造高齢化との関連だ。高齢化が進めば経済全体の貯蓄率は低下する。したがって、マクロ経済のバランスから、対外経常収支の黒字が縮小する。

これは、「国際収支の発展段階説」として経済学で論じられてきたことであり、経済学者は日本でもそれが起こることを以前から予測していた。それが、ついに現実のものとなったというべきだ。

したがって、赤字かを一時的なものと考えず、長期的・構造的なものととらえるべきだ。それは、「輸出立国」が不可能になるということである。より具体的には、次のようなことだ。

経常収支は、貿易収支と所得収支からなる。所得収支とは、対外資産の運用から得られる利益と、対外負債への利子等支払いの差額である。数年前から、所得収支の黒字が貿易収支黒字より大きい状態が継続している。貿易収支が赤字になった今、所得収支の黒字は、日本にとって大変重要なものとなった。

債権国にとって不可欠なのは、対外資産の賢明な運用だ。しかし、日本はそれを実現していない。

ドルに偏っているし、そのなかでも債券投資に偏っている。日本の対外資産運用は、幼稚な段階にとどまっていると言わざるをえないのである。

これを改善するためになすべきことは多い。とりわけ重要なのは、高度な専門家の養成だ。これは、日本の高等教育の中で最も立ち遅れた分野だからである。それを改善してゆくには、気が遠くなるほどの努力が必要だ。

なによりも必要なのは、「そうした分野の研究・教育が必要」という認識だ。日本でこの分野が遅れたのは、「金融工学やファイナンス理論はいかがわしいカネ儲けの学問だ」という考えが強かったからだ。しかも、今回の危機で、その考えは強まっている。「アメリカもイギリスも、地道なものづくりを忘れて、金融資本主義の道に突き進んだ。そして破綻した。だから、ものづくりこそ必要だ」という主張が力をつけている。

しかし、こうした考えは誤りである。この連載でも述べたように、今回の危機は、ファイナンス理論が使われたために起こったことではなく、使われなかったために起こったことだからだ(特に、リスク資産の評価が適切に行なわれなかったことが問題だ)。


最初に述べた世界経済危機の問題に戻ろう。日本の政治家は、これに関してほとんど危機意識を持っていないようだ。麻生太郎総理大臣は、所信表明演説のなかで「日本経済は全治3年」と述べた。しかし、なぜ3年たてば全治できるのか、その根拠が私には読み取れなかった。

演説のなかには、「米国経済と国際金融市場の行方から目を離さず」との文句もあった。これは、現在の危機は他人事であり、対岸の火事であるとの認識だ。

やや感傷的になるが、私は17世紀の私人ジョン・ダンの有名な説教詩を思い出さざるをえない(今回のタイトルは、そこからの引用である)。彼は、われわれの誰一人として完結した島ではなく大陸の一部分なのだから、「もし1かけらの土くれがなみにさらわれれば、欧州の地はそれだけ縮まる」と言うのである。弔いの鐘はアメリカ人だけに対して鳴っているのではない。それは、われわれ自身に対して鳴っている。

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