アメリカの経常赤字というモンスターはまだ生きている

2008年のアメリカ映画「クローバーフィールド」では、巨大なモンスターがマンハッタンの街を破壊する。現実の世界で、これと同じことが起きてしまった。『Voice』誌に寄稿した論文で、私は「アメリカの国内では、次々にかたちを変えた金融危機が顕在化するだろう。そしてそのたびに、日本の株価が下落するだろう」と書いたが、雑誌が刊行されて数日後に、それが現実化してしまった。

9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻とメリルリンチの身売りに続いて、保険会社AIGが存立の危機に立たされ、連邦政府の緊急措置で危うく破綻を免れたものの、事実上の政府管理下に置かれた。3月のベア・スターンズ救済からわずか半年のあいだに、アメリカの第3、4、5位の証券会社と第1位の保険会社が様変わりしてしまった。モンスターがマンハッタンの高層ビルを次々になぎ倒してゆくさまとそっくりだ。この1週間、世界の人びとは、これまで盤石だと思っていた大地に突然底なしの穴が開き、そこに漆黒の虚空がのぞくのを見て恐怖に凍りついた。

アメリカ政府は、将来の納税者負担についての確たる見通しもないままに、原則なしの個別企業救済に手を染めざるをえなくなった。また、「空売り禁止」という、市場取引の原則に反し効果も定かでない規制を導入せざるをえなくなった。こうした政策当局の狼狽ぶりを見ると、人びとの恐怖はさらに増幅される。

映画のモンスターは、爆弾の直撃を受けても死なない。それを見た人びとは、「あいつはまだ生きてるぞ」と絶望の叫びを上げる。今のマンハッタンでも、同じ叫びが上がっているだろう。

現実の世界で暴れ回っているモンスターは、この連載で何度も指摘してきたように、コントロール不可能になったアメリカの経常収支赤字である。それをファイナンスするため、資金が海外からアメリカに流入しなければならない。それには、高い利回りの投資対象を提供しなければならない。サブプロライムローンやその証券化商品のようにリスクがきわめて高い金融商品を「発明」せざるをえなかったのは、このためだ。

日本の不良債権問題と大きく異なる点

アメリカが巨額の経常赤字を発生させている限り、貿易相手国には黒字が発生する。そのドルは、どこかに投資されなければならない。黒字国で可能な投資だけでは、黒字の全額をとうてい吸収しえない。サブプライム関連金融商品がダメになれば、資金は金、原油、穀物に向かう。そしてこれらの価格が高騰する。

国際的投機資金の暴力的破壊行為は、アメリカの経常収支赤字が縮小しない限り続く。そして、08年第1四半期までの国際収支統計を見る限り、赤字の収縮は限定的だ。つまり、「あいつはまだ生きている」のである。

今回の金融混乱は、1990年代の日本の不良債権問題に酷似していると言われる。確かに、表面的には似ている。しかし、問題の背後にあるマクロ的条件はまったく異なる。

このとき、日本の不良債権は、不動産部門と金融部門にほぼ限定された問題であった。問題が複雑化したのは、不動産の投機的取引に闇勢力が絡んでおり、処理が難しかったからだ。そして、金融機関が複雑な会計操作を用いて損失を関係会社に隠蔽したからだ。投機そのものは、いったん不動産価格が沈静化してしまえば、復活することはなかった。つまり、モンスターそのものは、「死んでいた」のであり、死体処理に手間がかかっただけだ。

今回のアメリカの金融危機では、不良債権に闇勢力が関与したり、金融機関が損失を意図的に関係会社に隠蔽しているようなことはないようだ。しかし、金融機関の淘汰が進んでも、問題を引起こした巨額の投機資金は存在し続けている。つまり、モンスターは生きている。この点が、日本の場合との大きな違いだ。

右で述べたことは、この問題への対処が進めば、日本経済に大きな困難が生じることを意味する。なぜなら、右で述べた資金の流れに日本は深く関わっているからだ。

第一に、問題解決のためにアメリカ国内の支出が減少する必要があり、したがって日本の輸出も減少する必要がある。つまり、日本は外需に頼った経済成長を追求することがもはやできない。円安政策を採ったところで、05~07年のように外需主導の景気回復を図ることはできないのだ。

第二に、アメリカが高利回りの投資機会を提供できなければ、余剰資金は原油などに向かう。だから、資源価格は今後も上昇を続けると考えざるをえない。

これは、日本企業にとってもコスト上昇を意味する。実際、国内企業物価指数の対前年比は、7、8月連続して7%を超えた。契約通貨ベースの輸入物価指数は、30%を超える上昇を示している。したがって、(消費者の立場を離れて)企業収益の観点だけから考えても、輸入物価の高騰を抑えることが必要である。そして、そのための方策は、金利を引上げて円高を実現することしかありえない。

日本にとってこれは対岸の火事ではなく、重大問題

様相は、70年代の石油ショック時ときわめて似てきた。こうした事態に対して、金融政策、為替政策を適切に運営することは、一国経済の今後数十年間の命運を決める。

70年代の石油ショックの際、日本とドイツは通貨価値の上昇を容認し、その結果インフレの国内への波及の圧力を弱めえた。他方で、他のヨーロッパ諸国(とりわけ、イギリスとイタリア)は、通貨を減価させて輸出を増やすことで景気刺激を図った。しかし、これは成功せず、インフレと不況の共存というきわめて厄介な状況(スタグフレーション)に陥った。ヨーロッパは、これによって受けた痛手から20年近くにわたって回復できなかったのである。

今、自民党や民主党の政策にこうした危機意識はいっさい見られない。日本はかつてヨーロッパ諸国がたどったとおりの道を突き進みつつあり、それとまったく同じ誤りを犯そうとしている。その当時のイギリス、イタリアには、政治的なリーダーシップが不在だった。これも、現在の日本とよく似ている。政治が弱いと、円高政策のような痛みを伴う抜本策にはとても踏み切れず、その場限りの甘言を振りまく。だから、安易な景気刺激策に傾くのだ。

ところで、マンハッタンはどうなってしまうのだろう。まさか牧草地になってしまうことはないだろう。30年代の恐慌を生き延びた街だから、今回も生き延びるだろう。しかし、そこで行なわれる経済活動は、これまでとはだいぶ違ったものになるだろう。

事実、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーは銀行持ち株会社となり、これでアメリカの主要な投資銀行はすべて消滅した。資金調達を預金に頼ってよいというのは、証券業務と商業銀行業務の分離を基本原則とするアメリカ金融・証券制度の歴史的な方針転換だ。これがアメリカの金融をどう変えてゆくのか、まだ見当もつかない。

いや、われわれにとっての問題は、マンハッタンではない。われわれ自身の生活基盤をどう確保するかこそ、焦眉の課題だ。これは、決して対岸の火事ではないのだから。そして、これからの日本の政治情勢がどうなるにせよ、適切な経済政策を期待することはできないのだから。

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