イギリスはなぜ復活したのか

2004年におけるイギリスの1人あたり国内総生産は、日本を上回る値となった。イギリスはついに日本より豊かな国となった。「イギリスの1人あたり国内総生産が日本を超えるのは時間の問題だ」と、この連載(06年3月4日号)で書いたが、それがついに現実になったわけだ。

現在、ヨーロッパの多くの国の1人あたり国内総生産が日本を上回っているが、これらの国々は人口規模の面では小国である。「ルクセンブルクの1人あたり国内総生産が日本の2倍近い」と言っても、「ルクセンブルクは日本のような大国とは異質だから、豊かさで日本を抜いても驚くことはない」という意見はありうるだろう。

 
しかし、イギリスの人口は約6000万人。日本より少ないとはいえ、程度の差である。つまり、イギリスは日本と同じカテゴリーの国だ。だから、日本がイギリスに抜かれたことは、他の国に抜かれたのとは性質が異なる現象としてとらえる必要がある。

80年代のイギリスは大英博物館になった

第2次大戦後、イギリスの経済的地位は低下する一方だった。生産設備は老朽化し、社会階級の対立は激しく、経済活力は失われた。1970年代には、「英国病」とか「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほどに状況が悪化した。73年のオイルショックがこれに追い打ちをかけた。

その直後にロンドンの中心街を歩いたことが何度かあるが、「空き家」の札がかかるオフィスだらけで、廃墟のようだった。

この状況を改善しようと79年に登場したのが、マーガレット・サッチャー首相である。しかし、事態は簡単には変わらなかった。

82年に日本を訪れたサッチャー首相が富士通ファナックのロボット工場を見学したときのことは、まだ日本人の記憶に新しい。彼女は、日本の技術力を率直に賞賛した。それを報道する日本の新聞には、「イギリスでは蒸気機関車時代の釜炊き手が電気機関車になっても乗車している」という説明があった。

この当時、私はイギリスの研究者と共同プロジェクトを行なっていたのだが、彼らは、「イギリス全土が大英博物館になってしまった」と自嘲していた。確かにそのとおりで、地方都市に行くと、大英帝国の繁栄を象徴する豪華な市役所の庁舎がある半面で、町に活気はまったくない。「過去の壮大な遺産があるだけ」というのは、まさに博物館の光景だった。

90年代の初め頃、イギリスの1人あたり国内総生産は、日本の半分程度のレベルしかなかった。これだけ差が開いてしまっては、イギリスが日本を超えることなど絶対にありえないと誰もが思っていた。

しかし、「ありえないこと」が現実に生じたのである。イギリスは、なぜ復活したのだろうか。

それは、製造業の復活によって生じたのではない。実際、製造業は弱いままである。伝統あるロールスロイスをはじめとして、自動車産業はすべて外国企業の手に渡ってしまっている。

サッチャー首相による国営企業の民営化や規制緩和、福祉制度の見直し、労働組合に対する対決姿勢などがイギリス復活の原因として指摘されることが多い。あるいは、北海油田や天然ガスによってエネルギー自給度が90%に及び、電気・ガス料金が国際的に見て安価だという有利さも指摘されることがある。

確かにこれらは事実である。しかし、重要な点は、それらが旧来型の製造業を復活させたわけではないということだ。

イギリス経済を復活させたのは、高度なサービス産業、とりわけ金融業である。金融とその関連サービス業の雇用は飛躍的に増えた。金融産業は、91年を最後に、継続的に成長を続ける経済の牽引役だ。

私が注目したいのは、情報や知識に関わる社会的なインフラストラクチャーは、イギリス経済が最悪であった時代においても、依然として強かったことだ。

たとえば、大学である。オックスフォード大学やケンブリッジ大学に、日本の大学はついに追いつけなかった。人口1人あたりのノーベル賞受賞者数は、イギリスは世界一の地位を保っていた。あるいは、出版社である。オックスフォード大学出版から本を出せることは、学者にとって大きな名誉であり続けた。製造業は惨憺たるありさまになったにもかかわらず、これらのインフラストラクチャーに支えられた情報・知識の分野では、イギリスは継続的に強かったのである。

そして、86年の「ビッグバン」が、これを後押しした。規制緩和によって激しい競争が生じ、イギリスの金融機関のほとんどが市場から淘汰されて、活躍するのはアメリカやヨーロッパ各国の外資系金融機関ばかりという状態になった。これは、しばしば「ウィンブルドン現象」と呼ばれる。しかし、それによって、実力ある金融機関だけが生き残るという現象が進んだのである。

ここで注意すべきは、イギリスは共通通貨に参加していないことだ。これは「イギリス人のポンドに対する執着の表れ」だとか「孤立主義」だとか言われた。しかし、実際には、国際通貨としてのポンドの地位は、顕著に上昇しているのである。

(ちなみに、今日本を上回る豊かさを実現しているヨーロッパ諸国のうち、デンマークとスウェーデンも共通通貨に参加していない。その半面でユーロの中心国であるドイツ、フランス、イタリアは地盤沈下している。「アジア共通通貨」などと言っている人は、ぜひヨーロッパにおけるこの現状を直視してほしい)。

1世紀半を経て再び日本はイギリスに学ぶとき

国際決済銀行(BIS)によると、最新の外貨準備での通貨ランキングは、米ドル(66.3%)、ユーロ(24.8%)、英ポンド(4.1%)、そして日本円(3.4%)という順になった(06年9月12日付「日本経済新聞」)。

長らく第3位の地位を保ってきた日本円がポンドに抜かれたのである。これは、冒頭で述べた実物経済における順位後退と同じ方向のものだ。わずか5年前には、外貨準備での英ポンドのシェアは日本円の約半分だったから、いかに急激な変化が生じたかがわかる。

日本国内では、「今回の景気上昇期間がいざなぎ景気を抜いて戦後最長になった」ことがニュースになっている。しかし、イギリスにおける景気拡大は、なんと15年目に突入しているのである! しかも、経済の動きはなお力強い。

人口動向も注目に値する。05年におけるイギリスの人口増加率は、過去40年間で最大の値となった。これは、中・東欧からの移民が増えたためである。高齢化が進む一方で、移民を積極的に受け入れる政策が人口増を実現しているのだ。これは、イギリス人の仕事を奪うことにはならなかった。雇用率は高水準を維持しており、失業率を3%程度にとどまっている。

イギリスは、日本近代化の先生役を果たしてくれた国だ。明治の初期、日本はイギリスの社会制度を見習うことによって、近代化と工業化を実現した。

経済衰退や出生率低下に関しても、イギリスは日本の「先輩」になった。そして、イギリスはそれらの問題を克服しつつある。イギリスを見ならった時代から1世紀半近くたった今、われわれは再びイギリスから教訓を学ぶことができるであろうか。

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イギリスはなぜ復活したのか” への1件のコメント

  1. 私も80年に英国留学して、ロンドンの駅まわりなどでの乞食に辟易したのを覚えています。

    私は、英国の経済的復興を、それまでの「人基準」的な社会が、米国、欧州の「仕事基準」的な哲学に取って代わられ、企業活動が活性化したのだと解釈しています。「人基準」においては、人間を出身、学歴、性別、年齢など変えられない要素で差別し、最後に重要となるのは、人間関係です。つまり、その人材が創出する仕事の価値より、人間の属性によって、評価し報酬が支払われる社会です。(現在の日本がそうです。契約社員とかのタイトルだけで差別できる陰険な社会です。)

    80年頃の英国では、労働者と経営が、階級闘争をし、何ヶ月もの長期ストをしていました。サッチャー首相は、「働きなさい」とも言いましたが、同時に、国籍によらない金融業の進出を許したのです。国籍によらないという考え方は、要するに「仕事基準」の考え方です。

    中国の鄧小平の「白い猫も黒い猫も、鼠をとる猫がいい猫だ。」と言うのは、「仕事基準」で判断すると言うことだと思います。日本の相撲が、世界的に人気スポーツになってきて、海外でも新聞に勝敗表が出ていたりする。それも、国籍と無関係に外国人がチャンピオンとして活躍できるようになったからです。

    要するにウィンブルドン現象は、社会を経済を活性化させるのだと思います。

    ウィンブルドンでは、毎年多くの観光客が訪れ、英国経済を潤わせます。日本人も他国籍の金や人で、つまり、人のフンドシでも儲ける手法を身につけるべきだと思います。

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