日本は本当はもっと豊かになることができた

現在、世界経済が抱えている問題の中核は、アメリカの経常収支における巨額の赤字である、と前回述べた。いかでは、この問題の背景について述べよう。

アメリカの経常収支は、1980年代に悪化し、86年、87年にはGDP比が3.3%程度にまでなった。しかし、80年代後半に改善し、91年にはゼロになった。だが、その後再び悪化に転じた。特に、90年代末からの悪化が著しい。2006年には、経常赤字の対GDP比は6.15%という未曾有の水準まで上昇した。

アメリカの経常収支が赤字であることは、アメリカの支出が生産を上回ったことを意味する。アメリカはゼロパーセントに近い貯蓄率を続けて消費を謳歌し、その穴埋めを、日本をはじめとする黒字国からの資金を受け入れることで行なってきた。06年には、アメリカの経常赤字は、世界全体の経常黒字の約70%を吸収するまでにふくれ上がっている。

多くの人は、この状態は持続可能でないと考えている。20年以上前に、ポール・クルーグマンがこうした議論を行なった。彼は、アメリカの経常赤字はサステイナブルでないとし、為替レートが変動することで調整されると主張した。これは、85年のドル安を予言したことになった。

今世紀に入ってからの急激な赤字膨張に対しても、多くの人がドル暴落を危惧した。前回のこの欄で述べたのも、アメリカの経常収支赤字が縮小しない限り、金融市場の混乱は収まらないだろうという認識だ。

つまり、サブプライムローン関連証券化商品の破綻やファニーメイ、フレディマックの経営危機は、単に症状であるにすぎず、問題はそれらを引き起こしたマクロ経済の歪みにあるという考えだ。

今では、こうした考えをもつ人が多い。しかし、少なくとも昨年夏までの時期では、「アメリカの経常赤字は持続可能」という意見がかなり強く主張されていたのである。

その代表は、前FRB議長のアラン・グリーンスパンである。彼は、その回想録『波乱の時代』の中で、次のように述べている。

経済活動の専門化と分業が進むにつれて、個別経済主体に資金か不足が生じるのは当然のことだ。実際、一国の中では貯蓄過剰主体と投資過剰主体がいる。ホーム・バイアス(投資家の自国資産選好)の低下によってそれが国境を越えたとしても、不思議はない。唯一の問題は、外国人投資家がポートフォリオ中のドル資産への集中をためらうときだ。しかし、ドルの暴落はありえず、調整は緩やかなものとなるだろう。

バーナンキやクーパーの経常収支赤字持続可能論

「アメリカの経常赤字は持続可能」という意見は、より強いかたちで、何人かの経済学者によっても主張されていた。

ハーバード大学のリチャード・クーパーは、04年の『フィナンシャル・タイムズ』で、次のように論じた。アメリカの経常赤字の背景には、アメリカ以外の国の貯蓄がある。そしてヨーロッパや日本では投資機会がないので、貯蓄はアメリカに投資される。これは、アメリカにおける投資の収益率が高く、かつ安全なためだ。仮にアメリカが赤字を減らそうとすれば、全世界に不況をもたらすことになる。日本、中国、インドなどの政府がアメリカの国債を買うのは、自国通貨の増価を防ぐためだ。それは、非合理な行動とはいえない。

同じような意見を、05年春にFRB議長就任前のベン・バーナンキが講演で述べた。彼によれば、アメリカの経常収支赤字は、アメリカ人が借金をして支出する無謀な消費行動をしていることの結果でなく、世界的な貯蓄過剰の自然な結果である。仮にアメリカの借入れ増加が主要因なら、国際金融市場で資金需給が逼迫し、金利が上昇するはずである。しかし、実際には世界の金利は低下し続けているのだから、世界的な貯蓄過剰が主たる原因だ。

クーパーやバーナンキが言っているのは、「日本人は働いて得た黒字をアメリカ人の贅沢な生活を支えるために使ってしまったのだが、貯めたカネの使い道はそれ以外になかったのだから、仕方がないだろう」ということだ。

私なりにもう少し敷衍すれば、次のようなことだ。消費者の考えが経済政策に反映するような成熟国であれば、自国通貨安に批判が起こり、自国通貨が強くなって輸出産業の競争力は落ち、経常黒字は縮小するはずだ。その半面で、消費者は外国からの安い輸入によって、豊かな生活を実現できる。しかし、日本や中国のように生活者の意識が低い国では、そうはならないだろう。

また仮に国内に高い収益率を実現できる投資機会があれば、それに対する支出が増えて、その結果経常黒字は縮小するだろう。しかし、そうした投資機会も見つからないだろう。だから、貯め込んでしまったカネの使い道としては、アメリカに投資するしかないだろう。

円高への恐怖が日本を貧しくした

こう説明してみれば、彼らの意見をあらためて傲慢な意見だと思わざるをえない。日本人もずいぶんバカにされたものだ。

しかし、そう言われてもやむをえないのも事実である。実際、アメリカへの資金供給は、強制されてやったことではない。喜んでやったことだ。日本の輸出産業から見て、このような世界経済構造は望ましかったわけである。

今クーパーやバーナンキの意見を振り替えって、あらためて思い出すことがある。それは、私がスタンフォード大学に滞在中に見た地元の新聞記事だ。この記事は、近くにある山の中の住宅で、下水が逆流して家の中が水浸しになってしまった事故を伝えるニュースだった。

私はそれを見て大変驚いたのだが、何に驚いたかといえば、山の中にある別荘のような住宅が、浄化槽でもなく簡易下水道でもなく、公共下水道につながれていたことだ。シリコンバレーの住宅はため息が出るほど豪華なのだが、市街地の住宅だけでなく、山の中の住宅も同じであることを知って、驚いたのである。

私が10年前に住んでいた東京都日野市では、公共下水道がなく、浄化槽だった。日本では首都の市街地でも下水道がないのに、アメリカでは山の中に孤立して建っている住宅にも下水道がある。私は、そのとき、アメリカと日本の住環境の大きな違いに打ちのめされた。そして、同時に、アメリカ人がそうした豊かな生活を享受できるのは、
日本がファイナンスしているからであると思って、きわめて複雑な感慨にとらわれたのである。

日本人は、貯め込んだ経常収支黒字を国内のインフラストラクチャ整備に回すことで、アメリカ並みの住宅環境を実現できたはずだ。あるいは、円高を実現することで、豊かな生活を享受できたはずである。そのような潜在的な経済力を持ちながら、経常黒字を生活の豊かさを実現するためには使えなかった。その理由は、経済政策が貧困であったことだ。

そして、今なお日本は、その状態から脱却できない。日本の産業構造が大きく変わらない限り、アメリカに資金を提供し、そして円安を維持することによってしか、日本の企業は生き延びられない。貿易黒字に頼った成長はできないことが明確になったにもかかわらず、それからの脱却が大きな摩擦を伴うために、現実にはほとんど実現不可能である。

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日本は本当はもっと豊かになることができた” への2件のコメント

  1. たとえば日本は、あかずの踏み切りや、危ない通学路、超過密通勤など暮らしの不便を残しているわりには無駄なハコモノや独立行政法人を増やし過ぎたような気がします。最近エコノミストの新聞雑誌テレビなどでの解説を見ていると、政治家や官僚よりは経済のメカニズムをわかっている人材はいくらでもいるような気がします。かしこい日本?のわりには、結果はめちゃくちゃ。
     野口先生のいうような、ダメな日本のこの現状は官僚の能力の問題だったんですかね。たとえば官僚が政治家によいアドバイスで誘導すればよかったのが、それはかんがえず、ついつい易きに流れてきてしまったとか?

  2. お邪魔します。
     自分は「経済政策が貧困」というよりも、「米ドルというたかだか一国の
    通貨が世界の基軸通貨であった」事と「日本が原材料を輸入し、製品にして
    輸出する加工貿易の国であった」事が原因ではないかと思います。前者は
    「特定のプレイヤーがレフェリーも兼ねた」状態で、レフェリーでないプレ
    イヤーはレフェリーも兼ねたプレイヤーに「勝たせてもらう」以外に勝つ術
    はありません。後者は得た利益で自国で消費する食料やエネルギーも調達せ
    ねばなりませんから、自国への(インフラ他の)投資が躊躇われたのではな
    いかと思われます。

     それと余談ですがアメリカがゼロ金利政策に踏み切り日米で金利が逆転し
    た事について野口先生がどう思われているか興味があります。

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