アイルランドの国民投票から日本が学ぶべきもの

欧州統合の基本文書であるリスボン条約の受け入れが、アイルランドの国民投票で否決された。これに対して日本の新聞は、総じてネガティブな評価を下している。この根底にあるのは、「欧州統合は正しい」という認識だ。「そして、それが国民の理解を得ていない」という理解である。

この問題を考えるため、ある国の世界に対する態度として、次の3つを区別しよう。

A:引きこもり主義(可能な限りにおいて鎖国政策を採る)

B:「仲よしクラブ」の結成(FTA、EPA、地域統合)

C:すべての国と分け隔てなく付き合う(WTAが目的とする方向)

EUは、このうちのBに該当する。「仲よしクラブ」とはメンバーが限定された集まりであるが、この中の交流を盛んにするためにさまざまな措置を取るものだ。ただし、クラブの外との関係はこれまでどおりである。だからこれは、Aを1カ国から数カ国の集まりに拡大することである。

問題は、Bが望ましい方向かどうかである。日本の新聞は、アイルランドが「仲よしクラブの約束を受け入れないのは、引きこもり主義だから、おかしい」と考えているようである。しかし、「世界に開かれた国」とは、本当はCの方向を取る国である。

もちろん、Cの実現は難しい。では、「BはAよりはCに近いからよい」と言えるだろうか。これは、「関税同盟の理論」として経済学で古くから議論されてきたテーマだ。その結論は、「Aより悪くなることもある」というものだ。なぜなら、本来はクラブの外の国との関係を緊密化すべき場合、クラブに入っているためにそれが阻害されることがあるからだ。

もっとも、日本でBがよいと考えられているのは、「Cに近いから」というよりは、「大きいほど強いから」という考えに基づくのだろう。「大きいものは強い。アメリカは大きい。欧州も統合して大きくなった。だから、それらに対抗するために、アジアも大きくなろう」という発想だ。

軍事的には、大きいほうが強いことは明らかである。アジア共同体、アジア共通通貨などは、その考えを経済問題にも拡張しようとしているのだろう。

しかし、経済的に重要なのは、クラブの仲間だけと付き合うことではなく、さまざまな国との関係を緊密にすることだ。特に、後で述べるように、資本や労働力の流入に対してオープンな姿勢を取ることだ。これらは仲よしクラブの外から来ることも多いから、むしろクラブに入っていないほうがよい場合も多い。

仲よしクラブが共通通貨まで進むと、金融政策の独立性が奪われる。イギリスは、それを退けてポンドの独立性を守った。

仲よしクラブは必然的に巨大な官僚システムを生む。この支配を受けたくないと考えるのは、当然だ。政治的には、ヨーロッパはむしろ分裂の方向に向かっていることに注意が必要だ。スコットランド、ウェールズ、北イタリア、ベルギーなどに見られる独立運動は、それを示している。

世界に開かれたアイルランド

海外からの資本と労働の受け入れという点で、アイルランドはきわめて積極的だ。実際、アイルランドの経済成長は、これによって実現した。

1980年代以降のアイルランドの驚異的な成長は、海外からの直接投資、特にアメリカのIT関連企業によるヨーロッパ支社の設立によってスタートした。資本の出し手をEU内に限定する必要はない。全世界に向けて開かれるほうがよいのだ。アイルランドとしては、アメリカとの関係のほうが重要である。

アイルランドが成長するにつれて労働力が不足し、東欧からの移民やかつてアイルランドから流出した移民の子孫など、大量の労働力が流入した。アイルランドで年齢30歳以下の人口は、全体の5割を占める。これも、EUというよりはその外からのものだ。

もっとも、アイルランドの国民投票がEU条約を否認した理由は、経済的利益というよりは、国の主権が脅かされることへの危惧だろう。これは、政治的なものだ(アイルランドは長らくイギリスによって支配されたので、外国からの支配に対して民族的な嫌悪感を持っている)。

ただし、この方向は、経済的に見ても合理的な方向なのだ。仮にアイルランドの国民投票がEU条約批准を認めたとしたら、そのほうが驚きである。アイルランドは、EUに加入しているために成長したというよりは、世界に開かれているから成長したのだ。

アイルランドが、成長の初期の段階でEUの補助金を受けたのは事実である。しかし、それだけでこれほど豊かになれるはずはない。アイルランドは今ヨーロッパの中でもっとも豊かな国の1つである。1人当たりGDPでは、イギリス、ドイツ、フランスなどにくらべてはるかに高い。このような成長は、補助を受けただけで実現できるものではない。

先日、「リバーダンス」を見る機会があった。これは、アイルランドの伝統的なダンスをベースにして94年につくられ、世界的に大ヒットしたダンスショーだ。この第2部は、アイルランド移民の歴史を描いている。そこには、長い苦難の歴史を経て、やっとアイルランドの時代が訪れたことへの喜びが満ち溢れている。

内に向かって閉じこもる日本

では、世界に対する日本の態度はいかなるものだろうか。日本の国内でも、「アジア仲よしクラブ」をつくろうという意見は多い。その半面で、前記のCを採ろうという意見は、ほとんど聞かれない。

日本では、仲よしクラブの形成が国際化だと考えている人が多い。しかし、これは、引きこもりの範囲を拡大するだけのことである。

アジア仲よしクラブの目的は、アジア諸国に日本企業が工場を造った場合、日本からの部品輸入の関税を引き下げることだ。日本が結んだFTAにおいて、これは明瞭に表れている。

その半面で、世界に向けて日本を開くのは、「お断り」である。まず、資本流入は「お断り」だ。アメリカのファンドがブルドックソースを購入しようとしたとき、同社は買収防衛策を発動したが、最高裁はこれを認めた。イギリスのファンドがJ-POWERを買収しようとしたとき、経済産業省が待ったをかけた。海外のファンドは「はげたか」であり、日本人が一致団結して退けるべき対象と見なされている。新日本製鐵にとって最重要の課題は、ミタルの買収をいかに防ぐかだ。このように、外資の流入に対して、日本は強固な鎖国体制を敷いている。

労働の流入についても、きわめて排他的だ。企業が必要とする労働力は受け入れるが、日本社会へは受け入れない。農産物については、「自給度を高めよ」以外の意見はない。

アイルランドの国民投票に関して、日本の新聞の論説委員は、「アイルランドの国民は、偏狭な一国主義に凝り固まっている。もう少し利口になって世界に向かって目を開く必要がある」と考えたようだ。

しかし、世界の現実は、そうした認識とはおよそかけ離れたところですでに進展している。今われわれが直視すべきは、鎖国国家日本の現状だ。そして、それゆえに日本が世界から大きく立ち遅れているという現実である。

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アイルランドの国民投票から日本が学ぶべきもの” への1件のコメント

  1.  野口先生のエッセイ「超整理日誌」は本当に視点が斬新で面白く、テーマも経済分野だけでなく多岐にわたっていて、まったく飽きが来ません。既刊本はすべて購読し、あまりの面白さに自分でもおどろくほどの速さで読み終えてしまいました。これだけの長期にわたって読者を飽きさせず連載を続けられていることに驚嘆します。野口先生は一流の経済学者であると同時に、一句一句に心血を注がれている一流のライターであるとつくづく感じました。
     ダイヤモンド社からの単行本の今後の続刊を心から楽しみにしております。どうぞお体をお大事に健筆をふるっていってください。

    それからリクエストを1つ。
    野口先生の経済教科書はいつか出るのでしょうか。かつてはサミュエルソンが、最近ではスティグリッツの教科書が日本では流行っているようですが、野口先生なら日本人の手でこれらに匹敵する画期的な教科書をお書きになれると思うのですが。『超経済脳で考える』も購読したのですが、より大部の体系的テキストが出ればいいなと願っています。

    これからも、充実の経済分析と警世の書、そして、知的好奇心と人間らしいやさしい気持ちになれる良質のエッセイをご期待いたしております。
    どうぞお元気で。

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