高齢者医療の本質は被用者保険との関係

後期高齢者医療制度が、政治的に大きな問題となっている。この問題を考えるには、保険のイロハに戻って原理原則を明らかにする必要がある。私がこう考えるのは、今議論されていることの多くが、当面の批判を抑え、制度の根本問題を糊塗するためのものでしかないからだ。政府・与党は低所得者の負担軽減などを示しているが、これで問題が解決するわけではない。後期高齢者医療の問題は、今後ますます深刻化する構造的大問題である。したがって、制度の基本にさかのぼっての議論が必要だ。

医療保険制度は、「たまたま病気になって医療費が発生した人の負担を、病気にならず医療費負担が発生していない人が負担する」という仕組みである。もちろん、病気になる確率は人によって差がある。それへの対処は、確率が高い人の保険料を高くすることだ(これは、自動車保険で取られている仕組みだ)。健康保険の場合、事故率を決める最大の要因は年齢だから、この原則に従えば、高齢者ほど高い保険料を負担することになる。

もちろん、所得分配上の考慮は必要だ。したがって、高齢者に対しては、公費負担によって保険料を低くする必要がある。そのうえで、全国民が1つの制度に加入する。つまり、「医療保険制度の一元化」が必要だ。一元化は年金保険についても言われるが、医療保険のほうが必要性が高い。

ところで、現実の制度はこれとは異なる。最大の違いは、就業上の地位によって加入する制度が異なることだ。

大企業の被用者は、健康保険組合に、中小企業の被用者は政府管掌健康保険に、公務員などは共済組合などに加入する(これらは「被用者保険」と総称される)。そして自営業者や退職者は、国民健康保険(国保)に加入する。

このほかに、退職者医療制度(退職した人とその扶養家族が加入する、国保の中の制度)と、任意継続費用保険制度(退職して健康保険の被保険者の資格を失った場合でも、一定の条件の下で、2年間は同一健康保険の被保険者として継続することが可能な制度。雇用主負担分も自己負担となるので保険料は倍額となるが、保険料に上限があるため、国保に加入するより保険料が安くなる場合もある)がある。また、被用者である家族の扶養を受ける場合は、家族が加入する健康保険の被扶養者になる。さらに、75歳(寝たきりの場合は65歳以上)になると、老人保険制度に移行する。

制度が分立する現行制度の矛盾

現行制度の最大の問題点は、保険事故の確率が異なる集団で制度が分けられていることだ。健康保険組合加入者は若く、しかも就職時に一定の健康チェックを受けているので、病気になる確率が低い。また、病気になっても医療費が比較的安い。このため、財政的に最も恵まれている。国保は、確率が高い人も含まれている。また、事故確率が高くなった退職者がこの制度に入ることも問題だ。

国保の保険料(または国民健康保険税)は、所得割や均等割などを基準に決められるが、他の保険制度とくらべて所得に対する負担率が高い。退職被保険者等の医療費については、被用者保険(健康保険組合・共済組合など)から交付金が交付されている。

2008年4月から、これまでの退職者医療制度に代わって「前期高齢者制度」が、また老人保険制度に代わって「後期高齢者制度」が創設された。さらに、被用者保険の被扶養者であった者は、新たに保険料を負担することになった。後期高齢者保険制度では、自己負担のほか、医療給付費の5割を公費で、4割を各健康保険(健保、国保等)の支援金で賄い、1割を高齢者が保険料で負担するように設定されている。

問題がこじれた原因の1つは、政府の説明にあった。これまで、政府は、国保から移行する高齢者について、「低所得者は負担が減り、高所得者は負担が増える」と説明してきた。ところが、負担増となる世帯の割合は、低所得であるほど高いことがわかった。

ただし、負担率が全体として高まるのは、制度の基本からして必然である。個人間の負担の分布は、保険料算定の仕組みに依存する。だから、この問題は本質的なものとは考えられない。

被用者保険の負担を高めるべきだ

より重要なのは、今回の措置が、分立をさらに進める方向であることだ。そして、病気になる確率が最も高くまた1人当たり医療費も高い集団を別にしたことである。つまり、「保険」の思想を否定しようとしていることだ。「姥捨て」という批判が生じるのはそのためだが、そのとおりだと言わざるをえない。

ただしその前に、被用者保険から国保への姥捨てが、すでに存在していることに注意しなければならない。これを所与とすれば、問題が起きるのは必然である。したがって、今回の措置だけを問題とするのでなく、その前提である現行制度も問題にすべきだ。そして、その合理化を考えるべきである。

問題の基本は、制度が分立し、事故率が高い集団が別になっていることである。年金においても被用者年金と国民年金が分立しており、それらの財政的基盤が異なる。この点は、医療保険の場合と似ている。しかし、年金制度では、退職者は在職時に属していた制度から生涯給付を受けることに注意が必要だ(障害年金は医療保険の給付と似た性質をもつものだが、これも在職時に属していた制度から給付を受ける)。これに対して、国保は、加入者の財政力がもともと弱いうえに、被用者保険が「姥捨て」した退職者を抱えることになっている。だから、「二重に」負担が重くなる宿命を負っている。

もちろん、国保には国庫負担があるが、一挙に税負担に依存するのでなく、保険の原理に戻って、被用者保険の負担を求めるべきだ。現在でも退職被保険者等の医療費については被用者保険からの交付金があるが、私は任意継続制度を拡充すべきではないかと考える(雇用主負担はゼロでよいが、加入期間を延長する)。延長したところで後期高齢者までは含められないかもしれないが、これによって国保の負担が軽減され、事態は改善するはずである。

なお、任意継続制度が拡充されれば、退職者を大量に抱える組合の負担が重くなるが、それが望ましい姿ではないかと思う。現在の制度は、過去の加入者が多かった伝統的産業にとって有利であり、新しく誕生する企業に不利である。産業界は、年金制度においても、全額税負担への移行を求め、年金保険料の雇用主負担を免れようとしている。産業界の社会保険制度からの逃亡を許してはならない。

個人間の負担分布については、所得割を高めるべしとの議論が多い。しかし、病気になる確率は所得には依存しない。所得割を正当化する理由は所得分配であるが、これは税で行なうべきだ。「所得割を高めよ」との議論は、所得分配上の要請と保険制度運営の基礎原理とを混同している。国保の加入者には、所得の捕捉が不完全な人が多いことにも注意が必要である。

また、日本の所得税では資産所得が分離課税されているので、所得割の比率を高めれば、資産所得が多い人が有利になる。これを矯正するには資産割を高めることが必要だが、資産の捕捉は所得の捕捉より困難な課題である。

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